種別 ワークショップ 提案者 佐々木顕(九大・院理) 趣旨 伝染病の予防・根絶と治療を目指す人類の試みは、病原体の進化によってしばしば頓挫してきた。インフルエンザやエイズウイルスに対するワクチン開発が困難なのは、そのエピトープが急速に予測不可能な方向に進化するためであるし、抗生物質や抗ウイルス剤の投与は短期間にうちに薬剤抵抗性を進化させ、異なる薬剤の併用は多剤耐性菌を進化させる。これらの困難を克服するためには、病原体の進化の方向性を見極める分子疫学理論の開発と実証研究が不可欠である。 本ワークショップでは、ポリオ根絶計画とワクチン由来株の出現、HIVの宿主体内におけるエスケープ、マラリア原虫の抗原エピトープ多型と進化、インフルエンザの抗原連続変異/不連続変異など、伝染病の予防と根絶政策の前にたちはだかる「病原体の進化と多様性」の実態解明に焦点をあてた講演をつうじて、パラサイトの進化ダイナミックスの理解と「進化を見越した防除」の方向性について探る。
予定講演者の氏名、所属、タイトル
- ポリオ根絶への長く困難な道 --- エジプト、ハイチではじまったワクチン由来株再流行」
○吉田弘(国立感染症センター)
世界保健機構が推進するポリオ根絶計画は野生株感染によるポリオ患者の発生を生ワクチン(OPV)で制圧する戦略である。一部の地域を除き全世界で野生株の制圧に成功したが、2000年ハイチドミニカでワクチン由来株(VDPV)によるポリオの流行が起こり関係者に対し衝撃をもたらしている。OPVに用いられるワクチン株は数個の塩基置換で毒性を復帰することが知られ、それ自身が潜在的な病原体となることはOPV開発当初から指摘されている。しかしワクチン株の感染力は野生株より小さいと考えられたため、野生株制圧後にOPVによる集団免疫が維持されていれば最終的にOPVを停止してもウイルスは根絶可能と信じられてきた。一方我々は日本の環境サーベーランスを通じて毒性復帰したVDPVが一定期間ヒト集団内に循環しており、不活化ワクチンに切り替えない限りVDPVによるアウトブレークの可能性があることを示した。- ポリオウイルスは根絶できるのか --- 確率論的進化疫学モデルから」
○佐々木顕(九大・院理)
ポリオウイルスの制圧に使われている生ワクチン(OPV)は、一方で毒性復帰突然変異株の供給源でもあり、実際ワクチン由来株の散発的な流行が世界各地 で起きている。これが大流行にいたらないのは、強毒復帰株を供給した当の生ワクチンによる集団免疫のおかげである --- つまり生ワクチンは諸刃の刃あるいはマッチポンプとしての側面を持っている。WHOはここ数年以内にポリオを全世界的に根絶する目標を掲げている。この 目的が達成され発症例の報告がなくなり、ワクチン接種が停止された瞬間から、人類は未曾有宇の危険な賭けにでることになる。ワクチン接種停止により集団 免疫が低下すると、ワクチン由来株流行の条件が整うのである。集団を循環するワクチン株の絶滅が先か、強毒復帰株の流行に火がつくのが先かを確率論的疫 学モデルで評価すると、深刻な事態が予測される結果となった。- 「HIV-1の表面タンパク質の変異と進化」
○山口由美(産業技術総合研究所、生物情報解析研究センター)
HIV-1の表面タンパク質であるgp120は、ウイルスの標的細胞への侵入において重要な役割がある一方、タンパク質の変異が免疫系による認識からの 逃避や標的細胞の変化に関わっている。HIV-1gp120の各アミノ酸サイトの進化機構、および適応進化との関係を、次の2つの視点で解析を行った。1)保守的な進化、あるいは適応的な進 化、2)HIV-1の系統間による標的細胞の違いに関連しているアミノ酸変異は何か。HIV-1の株には、マクロファージ指向性のものとT細胞指向性の ものがあり、T細胞指向性の株の方が強い病原性を示す。この細胞指向性の違いは第2レセプターであるケモカインレセプターの使用の違いによるものであ り、マクロファージ指向性の株はCCR5、T細胞指向性の株はCXCR4がそれぞれ主要な第2レセプターである。第2レセプターの使い分けに関わってい るアミノ酸サイトを明らかにするために、第2レセプター使用の情報のあるHIV-1株のgp120のアミノ酸配列の変異を各サイトについて解析した。そ の結果、現在までに決定基として知られていたV3領域以外にC4領域の440番目の残基の電荷にはっきりした特徴があることが分かった。- 「マラリア原虫の抗原多型とその進化-- ワクチン開発への道」
○田辺和裄(阪工大・工・生物)
ハマダラカによって媒介され、マラリア原虫(Plasmodium属)によって引き起こされるマラリアは、何度でも感染し、容易に防御免疫が成立しない。この現象にはマラリア原虫の免疫回避機構、なかでも抗原多型の関与が考えられ、実際に表面抗原のエピトープ領域では多型が激しい。抗原多型はマラリアワクチンの有効性とも密接に関わる事柄であるが、抗原多型の発生機構とその進化的起源はまだほとんど解明されていない。熱帯熱マラリア原虫(P.falciparum)では薬剤耐性が短期間で出現しているが、新しい抗原変異体が簡単に出現するものなのかどうかは、その重要性にもかかわらずまだ調べられていない。南太平洋バヌアツのP.falciparum集団における抗原多型を調べたところ、ワクチン候補の表面抗原群におけるSNPはバヌアツ起源ではなく外来性であり、少なくとも過去20年間、バヌアツではde novoSNPの集団内固定は起こっておらず、抗原多型の保存性が示唆された。- 「インフルエンザの抗原連続変異/不連続変異」
○中島捷久(名古屋市立大・医)
抗原変異をしつづけるインフルエンザウイルスの分子機構を解明するため、インフルエンザウイルスHAのアミノ酸変異のあり方を二方面から検討した。ひとつは、抗原変異としてのアミノ酸変異(ドリフト)機構。もう一つはアミノ酸変異の特性である。ヒトはHA蛋白質上のすべての抗原領域にたいして抗体を作れるものではなく、特に幼児においては限られた領域にしか抗体をつくれず、再侵入したウイルスは少数個のアミノ酸変異で幼児のもつ抗体から逃れられ、次に抗体キャパシテイーの低い集団に感染してまた少数個のアミノ酸変異でこれらの抗体からのがれていく、このように連続的にアミノ酸変化を蓄積させ広い抗体キャパシテイーをもつ集団にも対応できる変異を獲得っするのではないかと考えられる。また1968年から2000年までにHA上におこったアミノ酸変異の殆どは1968年のウイルスのHA上で許容されるアミノ酸変異に限定されている。このことはHAタンパク質の構造は20年の経過ではある方向に変化しているのではなく、1968年のウイルスのHA構造のまわりを変動しているのではないかと考えられる。- 「C型肝炎ウイルスの起源と進化」
○溝上雅史(名古屋市立大学大学院医学研究科臨床分子情報医学)
C型肝炎ウイルス(HCV)は輸血後肝炎の原因ウイルスとして1989年に発見されたが、現在世界中で1.7億人の感染者が存在し、約60%が慢性化し約30年で肝癌に進展する。我々は世界中のHCV 528本の塩基配列から6種のgenotypeに分類し、genotype 1, 2は世界中、3は東南アジア、4はアフリカ・中近東、5は南アフリカ、6は南アジアに存在し、アフリカのgenotype 2が一番古く、genotyppe 2が一番新しく、本邦には1880年代に侵入し1920年代までは穏やかに増加したが、1940年代以降1990年頃まで急拡大したことを見出した。このことが、現在年間約3.6万人も肝癌で死亡している要因であると思われた。一方、欧米では、1900年頃からHCV感染が拡がり始め、1960年代以降急激に増加し現在も増加中である。それらの要因や分子進化学的解析につき報告する。- 「豚繁殖呼吸器障害症候群ウイルスの起源と進化」
:The origin and evolution of porcine reproductive and respiratory syndrome virus
○花田耕介(国立遺伝学研究所、生命情報・DDBJ研究センター)
豚繁殖呼吸器障害症候群ウイルス(PRRSV)は1980年以降急速に豚に広がり、現在では豚の生産性の低下を引き起こす最大の原因ウイルスと考えられている。このような新興感染症を引き起こすウイルスの進化機構の研究は、ウイルスの出現機構の解明にもつながると考えられ非常に重要である。本研究はPRRSVがいつ現れ、どれ位の速さで進化し、さらにどのように豚に適応したかを明らかにすることを目的として、PRRSVの同義置換速度の推定および豚に適応する際に重要と考えられるアミノ酸座位の検出を行なった。その結果、PRRSVの同義置換速度は7.7×10-2/site/yearと今まで報告された全ての生物種の中で最も速く、さらにPRRSVが豚に適応する際には豚の細胞膜を通過するためのアミノ酸座位の置換が重要であると考えられた。これらの結果はPRRSVが急速に豚に広がったという疫学データとも相容れるものである。