種別 ワークショップ 提案者 佐倉統(東京大学情報学環)、三中信宏(農業環境技術研究所) 趣旨 進化するものは、生命体だけではない。言語や写本あるいはミームのような"非生命体"もまた〈変化を伴う由来〉という意味で進化をし、跡に系統を残す。基本情報の複製が系統を形成し、環境との相互作用を通して変化が累積していけば、生命体でなくても「進化」が生じる。したがって、それらの変化をたどることにより、非生命体の系統を復元し、その進化を論じることができるだろう。歴史的に見ても、進化の概念や理論を写本や言語などの非生命体に適用する試みは、むしろ進化生物学より長い過去をもっている。非生命体の進化のプロセスやメカニズムを生物体の進化と比較しつつ、その共通点と相違点を探求することは、進化現象についての理解を深める有効な手段になるはずである。また、非生命体の系統復元は、目的・手法・解釈が生命体の系統復元と深いレベルで共有されており、自然科学と人文・社会科学の壁をすでに乗り越えていると考えられる。しかしその一方で、社会進化論や文化進化論は自然科学の一分野として確固たる認知を得たことはなく、通俗科学と厳密科学の境目をさまよい続けてきた。進化理論を安易に非生命体に適用することの社会的な悪影響を懸念する批判も、常に存在する。このワークショップでは、非生命体の進化と生物体の進化とを比較して理論的に検討すると同時に、言語や茶道所作の系統進化の研究を報告し、生命体/非生命体の系統進化研究の密接な学問的関係を理解した上で、さらに発展させるために必要な作業を検討する。 予定講演者の氏名、所属、タイトル
- 「ミーム論の現状と展望──非生命体進化論の問題点」
佐倉統(東京大学情報学環)
人間の文化情報の自己複製子としてのミーム (meme) は、R. Dawkins(1976) が概念と用語を提案したのち、1990年代の半ばからミーム研究 (memetics) を通常科学化しようという動きが活発になってきた。この知的運動には進化学者だけでなく、心理学者、認知科学者、文化人類学者、哲学者、社会学者、政治学者など、多方面の研究者が参加している。一方で、現状では通常科学と呼べるだけの確たる成果があげられていないという批判が、ミーム論者内部からすら、あがっている。ここでは、ミーム研究の歴史的経緯と現状をまとめ、ミーム概念のもつ潜在的な意義や展望を考察する。とくに、オンライン専門誌である "Journal of Memetics -- Evolutionary Models of Information Transmission" などの媒体が多様な学問分野間の交流を促進してきた側面に注目し、学際的研究を推進するエンジンとしてミーム概念が有効であるという展望を述べる。- 「進化子(evolver)の一般化――普遍系統学の視点から」
三中信宏(農業環境技術研究所)
系統関係は歴史的な変化の軌跡を記述する基本的な半順序関係であり,それを図式表示する系統樹はその変化にともなう半順序構造のグラフとみなされる.し たがって,系統関係や系統樹は生物学のみに限定された概念ではなく,もともとは広義の「系譜探求」の中で定式化されてきた方法論である.生物系統学が登 場する19世紀のはるか前から,言語学や文献学で系譜が論じられてきたことがその証左といえるだろう.本講演では,自然科学や人文科学の壁を越えた営為 としての「普遍系統学」の基本スタンスについて述べた上で,ごく一般的な進化子(evolver)が系譜の単位であることを指摘し,さらに言語・文化・ 生物における系統樹の歴史的絡み合いがもたらす帰結を論じる.- 「進化言語学のこの15年」
山内肇(エジンバラ大学言語学学部)
ここ15年間で急速に発展した進化言語学は歴史言語学的な意味での進化(印欧語族の変化等)を研究対象とするものではなく、人間の一霊長類としての進化とほぼ同程度の時間的視点から言語知識・能力の起源と発達の過程を探る、極めて新しい分野の学問である。当初、言語能力の生物学的進化が注目を集めたが、近年は言語そのものがComplex Dynamic Adaptive Systemであるという認識の元、言語と人間の共進化的な視点や、言語の文化的進化の側面が注目を集めている。 今発表では、言語進化学をまず歴史的視点から考察する。その後、近年の「言語主 体」の言語進化研究の中で、急速な発展を見せる構成論的アプローチの一手法であるモデリングシミュレーションと組み合わせた研究を中心に具体例を紹介する。- 「茶の湯点前の形質コード化と系統推定」
眞岡哲夫(北海道農業研究センター)
茶の湯は,千利休により16世紀末に大成された,広汎な芸術をも総合した生活 文化である。現在大小さまざまな流派が存在しているが,茶の湯の持つ多様性, 複雑性が,これらの総体的な解析を困難にしている。特に,流派の歴史的な由 来は,各流派の存在根拠に直接かかわるものであるため,流派の系統関係を科 学的に論じた研究は,これまでほとんど行われてこなかった。一方茶の湯には, 「湯を沸かして茶を点て飲む」という,極めて具体的な目的を持った一連の動 作(所作)の連続,すなわち点前が存在している。近年,このことに着目し, 茶の湯点前の所作をメルクマールにして,自然科学的アプローチにより流派を 比較しようという試みがなされている(廣田, 茶の湯文化学,2001)。本講演 では,所作の形質をコード化し系統推定を行う具体的な作業により,茶の湯点 前の系統推定が,流派の比較研究のために信頼に足る結果を導き出せるかを議 論する。- 「厳密科学としてのマクロ比較言語学の構築とその進化生物学的意義:朝鮮語、アイヌ語、ソケ語(Mexico)等のマラヨポリネシア語亜族由来の解析を巡って」
大西耕二 (新潟大学理学部生物教室)印欧語比較言語学は19世紀半ばに確立した厳密進化科学の先駆。その後多くの言語族の厳密比較研究が進んだが、言語族間のマクロ比較言語学(MCL)は困難を極め、Ruhlen('94)やGreenberg(2002)の音韻対応法則は極めて曖昧で間違いが多い。演者は、Eurasiaや南北米大陸先住民の多くの言語のAustronesia語族(AN)由来性を共有語彙で示したが(Ohnishi,"Evol.of Mongoloid languages", Shokado,Kyoto,'99)なお厳密性に欠け、厳密音韻対応法則の発見が必要。系統不明とされる朝鮮語(KR)語彙を80 AN言語の語彙リスト(Tryon,'95) と比較し、KRのほぼ全ての子音がANや Western Malayo-Polynesian(WMP)のどの子音に由来するかについて、厳密な対応関係を得て(大西:日本言語学会第126回大会予稿集, 2003)、KRがWMPのBali-Sasak亜群由来と結論。アイヌ語やMixe-Zoque語族との親近性や、MCL諸研究の問題点等を論ず。