種別 ワークショップ 提案者 小池裕子(九大大学院比較文化研究院) 趣旨 1993年に日本が加盟した生物多様性条約には、生態系レベルの多様性、種レベルの多様性と並んで遺伝子レベルの多様性が含まれている。この遺伝子レベルの多様性には、有効個体群サイズが急速に拡大すると多様性が増大し、逆にボトルネックなど個体数の減少がおこると多様性が減少するという現象がみられる。この遺伝的多様性を指標にして、過去の個体群サイズの変動、その背景にある環境変動を考えていこうとするのが、このシンポジウムのねらいである。またAncientDNAなど過去の遺伝的多様性を直接検証するアプローチについても議論したい。 予定講演者の氏名、所属、タイトル
- 「ナベヅル自然集団における遺伝的多様性」
山本義弘(兵庫医科大学遺伝学講座)鹿児島県出水市には冬期になると1万羽のツルが越冬のためシベリアから飛来するが、そのうち約8割はナベツルであり、これは全世界に生息するナベツルの90%以上と考えられている。このナベヅル自然集団における遺伝的多様性を探る目的で、まず飼育個体のミトコンドリアゲノム全塩基配列を決定し遺伝子を同定した。多様性を調べる対象としたのはミトコンドリアD-loop領域1103bpで、その領域を増幅する2組のプライマーを合成した。出水市の許可を得たのち保護区域内の落下羽根を約800本採取して羽軸よりDNAを抽出した。中には破損が激しいサンプルもあり、結果として702本の羽根から抽出したDNAを鋳型としてPCRでD-loop領域を増幅し、直接シークエンス法で塩基配列を決定した。塩基配列が決定できたのは615であり、成功率は87.6%であった。塩基変異個所は欠失や付加をいれて全部で79個所が同定され、得られたハプロタイプは126であった。- 「北海道のタンチョウにおける遺伝的多様性の消失」
長谷川理・東典子・阿部周一(北海道大学・地球環境)日本国内におけるタンチョウ(Grus japonensis)は、20世紀の始めまでに個体数が激減し、絶滅の危機に瀕した。その後の給餌等の保護活動により個体数は回復し、現在では約800羽が北海道東部に生息している。しかし、一時の個体数減少はタンチョウの遺伝的多様性を著しく消失させたと考えられる。本発表では、ミトコンドリアDNAコントロール領域とマイクロサテライト領域を対象とした遺伝解析から、北海道のタンチョウがどのような遺伝的ボトルネック受けたか、そして今後遺伝的多様性を回復させるためにどのような手段が必要かということを議論したい。
また、遺伝的多様性を評価する上で、過去の個体数変動に留意しておく必要性があることを、ウミネコ(Larus crassirostris)とオオセグロカモメ(L. schistisagus)の研究を通して紹介する。- 「日本固有種ヤマドリ(Syrmaticus soemmerringii)の分子系統地理」
坂梨仁彦(熊本県企画振興部文化企画課)、川路則友(森林総合研究所)、時田賢一(我孫子市鳥の博物館)、馬場芳之(九州大学比較社会文化研究院)、小池裕子(九州大学比較社会文化学府)ヤマドリは、本州以南の山地から低地にかけて留鳥として生息する日本固有のキジ科の鳥類である。その近縁種である他のヤマドリ属の鳥類は、中国に3種、台湾に1種が生息するのみである。
つまり、中国で種分化を始めたと推定されるこれらの鳥たちは、どのような類縁関係を持って分布を拡大してきたのか。また、日本に渡来した後のヤマドリの拡散は、いつの時代にどのような様式により分布を拡大したのか。
このような課題について、ミトコンドリアDNAのいくつかの領域について解析を行い、NJ樹及びネットワーク図を作成し、類縁関係及び種内変異について検討を試みた。その結果、ヤマドリは他のヤマドリ属の種とは独立性が高いこと、及び最終氷期の中頃以降、日本に渡来した後は、一斉放散的に分布を拡大したことが推察された。- 「日本周辺海域に分布するミンククジラの遺伝構造−特にJ系群を例として−」
後藤睦夫((財)日本鯨類研究所)・金場根(韓国・国立水産科学院)・上田真久・石川創・ルイス A. パステネ((財)日本鯨類研究所)日本周辺に来遊するミンククジラは形態学や,生態学,遺伝学的な知見をもとに,日本列島を境界として,その西側(J系群)と東側(O系群)の2つの系群に分類されている.O系群の資源量は,国際捕鯨委員会によると25,000頭(1990, 1992年の推定値)と推定されているが,J系群のそれは1600頭(同1992年)であり,同海域における資源の枯渇が危惧されてきた.しかし,後者の資源量推定値は限定された時期と海域の調査に基づいており,また,近年の混獲数の増加を考慮すると過小評価である可能性が高い.我々はmtDNA分析に基づき,両系群の遺伝的多様性を解析した.その結果、J系群では近年の標本が約20年前の標本に比べて,遺伝的多様性が有意に増加していた.本報ではこの原因について遺伝的多様性と資源量の関係を資源量増加の可能性を含めて考察すると共に,J系群の分布および回遊経路の推定も行う.- 「遺伝的多様度マーカーとしてのMHC遺伝子=鯨類を例として=」
西田伸(九大・比文)、曽根恵海(九大・比文)、梅崎和宏(九大・比文)、小池裕子 (九大・比文)MHC遺伝子複合体は、脊椎動物の免疫反応に深く関与するタンパク質であるMHC分 子をコードする遺伝子群である。細胞表面に発現して、ウイルスなど外来性の非 自己ペプチドをT細胞へ提示し、それらの排除を促している。そのため外来ペプ チドとの結合部位において多くのアミノ酸置換が検出されており、さらに平衡選 択によりその多型性が保たれていることが知られている。一方で、個体数を減ら した種や集団において、MHCの多型性が著しく失われていることが報告されてお り、この遺伝子は、種や集団の環境への適応をより直接的に知ることができる遺 伝的マーカーとして、保全遺伝学的に注目されている。
本研究室ではこれまでに、まだ塩基レベルでの研究が少ない鯨類を対象として、 生息環境や社会性の異なる複数の鯨種についてこのMHCの多様性を解析してき た。今回これらの結果について報告をおこなう。- 「考古遺跡出土ニホンアシカ遺体のAncient DNA 分析:予備的研究」
坂平文博・新美倫子(名古屋大学大学院情報科学研究科)ニホンアシカ(Zalophus californianus japonicus)は分布域の隔たりのためにカ リフォルニアアシカ(Z.c.californianus)の亜種とされているが、現在では事実上 絶滅しており、その成立過程や生態等は不明な点が多い。発表者らは、それら問題を 検討するために、Ancient DNAによる分析を試みている。考古遺跡から出土したアシ カ遺体からAncient DNAを抽出し、ミトコンドリアDNAのコントロール領域の増幅と塩 基配列の決定を試みた。得られた塩基配列をカリフォルニアアシカと比較した結果、 ニホンアシカとカリフォルニアアシカとはかなり早い時期に分岐したと考えられる。 また分子時計を用いて分岐年代を推定したところ、後期中新世という結果が出た。- 「アホウドリの集団構造の過去・現在・未来」
江田真毅(東大・農),小池裕子(九大・比文),黒尾正樹(弘大・農生),三原正三(九大・比文),長谷川博(東邦大・理),樋口広芳(東大・農)アホウドリ(Phoebastria albatrus)は,19世紀末から20世紀初頭の人間による乱獲 などで,個体数と繁殖地数が大幅に減少した大型の海鳥である.現生個体のミトコン ドリアDNA・制御領域の解析では,基本的にそれぞれ鳥島と尖閣諸島で繁殖する個体か ら形成される大きく離れた2つのクレードがあり,鳥島では尖閣諸島と同一クレードに 属する個体も少数繁殖していることが明らかになってきている.この状況は,系統地 理学の観点からは,1)2つの長期間隔離された集団の二次的な交流,あるいは2)1つの 非常に大きな集団での系統の不完全な消滅,の2つの仮説から説明されうる.一方で, アホウドリは遺跡から骨が大量に出土する鳥でもある.これらの骨の解析から,より 直接的に過去の集団構造の復原が可能と考えられる.今回の発表では,遺跡から出土 したアホウドリの骨の遺伝的解析を中心に,窒素と炭素の安定同位体比と骨の大きさ の測定を行い,これらの形質がクレード間で異なるかどうかを検討することを通じて 過去の集団構造を推定し,上記2つの仮説の検討をおこなう.